三条しただ郷クリニックを開業して見えてきた地域医療、看護と包括ケアモデル

 2019年7月1日に、三条市下田保健センター内に三条しただ郷クリニックを開業させていただきました池上です。この随想ではどのような経緯で開業に至ったのかと、開業してどのような医療を行っているのか、さらに今後の展開などについて思うままに記したいと思います。お付き合いいただければ幸いです。

開業に至った経緯

 東京在住の勤務医から下田地区での開業を決めた心理と、旧宮崎医科大学を卒業し当時はシステムとしても診療単位としても確立していなかった救急医療を専門にすると決めた心理はほぼ同じで、それはそのときの関心や興味がある未開拓の領域に踏み出しその世界を体験したいというものでした。西部開拓のフロンティアと同じく、まったく新しい土地・文化・環境のなかで、これまでの経験をもとに新しい医療を立ち上げ、地域のニーズを反映した診療スタイルやシステムを作ってみたいという気持ちに従いました。

 三条市からオファーされた公設民営の開業プロジェクトにサインしたのが2018年の9月、このプロジェクトを担当したエージェントから手紙をもらったのが同年6月。7月に面談し話を聞き、8月には三条市役所と下田保健センターで説明を受けました。説明の後、旧下田村内を車で見学させていただき、ドライブ中に東京と三条の二拠点生活と無医地区での開業という新しいライフスタイルを選択しました。

これまでの医療と郷クリスタイル

 これまでに経験した医療を基盤に、新しい経験(診療や他の医療機関との連携の経験)+言語情報による学習(本、ネット、講習会・講演会)+新たな試みとフィードバック+家族(眼科医、整形外科医、内科医)・友人からのインプットとQ&Aをブレンドしながら郷クリ(三条しただ郷クリニックの愛称)を受診される患者さんそれぞれに最適な医療をデザインし提供しています(郷クリスタイル)。

 これまでに経験した医療を徒然に書いてみたいと思います(昔話にお付き合いください)。昭和56年(1981年)に大学卒業後、大阪大学医学部附属病院特殊救急部のプログラムに入り、まず大阪府立千里救命救急センター(当時)で外傷、急性腹症や新生児の腸重積の外科治療と集中治療、心筋梗塞など内科救急疾患の初期治療からリハビリテーションまで、そのほか多様多彩な急性期疾患の診断・治療・管理を経験しました。大学に戻り広範囲熱傷、多発外傷や多臓器不全のマネジメントと勉強・研究の仕方を学びました。2年目から3年間は外傷外科医になるために一般外科研修を行い当時の外科認定医になりました。2年間は旧国立東静病院外科で、3年目は済生会神奈川県病院外科で研修しました。当時の外科研修医・専修医(いまは絶滅した一般外科医)は院内のすべての患者(救急患者、オペ患者を含め)を自分で受持ったり、あるいはいろんな診療科の医師から応援を要請され診療にあたっていました。診療科の間の垣根も低く(僕たちにとっては)若手の医者はこの時期にロケット成長したように思います。外科研修3年目の済生会神奈川県病院外科では阪大特殊救急部、慶応大学病院外科、日医大救命センターから派遣された若手医師3名が最前線に立ち外科外来、入院患者管理、予定手術の準備・手術(助手、ときどき術者)・術後管理を行い、それに加えて交通外傷など重度救急患者の受入れと緊急手術、内科救急患者の初期対応と集中治療を行いました。多数の症例と終わりのない長時間労働により医師としての経験と実力をさらに発達しました。

 その後は短くまとめます。大学に戻り診療・研究と学生や後輩の指導に当たり資格や学位を取得し、杏林大学救命救急センターに移籍。臨床では外傷外科医として、また教職員としては救急医学の立上げや救命チームの養成などを経験しました。次に旧獨協医科大学越谷病院に移籍し救命救急センター・救急医療科の新規立ち上げを経験しました。救命センターは埼玉県東部地域の人口150万人をカバーし、また同地域のメディカルコントロール体制の充実に貢献しました。越谷ではこれまで経験しなかった状況で様々な症例を経験しました。

 越谷で還暦を迎える頃には救急医療も大きく変貌をとげていました。要約すれば、交通災害から高齢者救急へ、ドクヘリの導入、DMATと災害医療、救急科専門医制度の確立により救急医療の仕組みや人財発達のパッケージができあがりフロンティアがなくなっていきました。そこで次のフロンティアに挑戦することにしました。選んだのは在宅医療、総合救急診療、地域医療で、それは大学5,6年ころに大きな問題となっていた無医地区における医療問題の現代バージョンでした。

 救急医療を卒業し一年間訪問診療を経験した後、100床規模の急性期総合病院の総合診療及び訪問診療の新規立上げを経験しました。総合診療と訪問診療はほぼ1年間で形になり、次は何をしようかな、と考えていることろに転職エージェントから一通の手紙が届きました。それが三条しただ郷クリニックのスタートでした。

三条しただ郷クリニックで展開している医療

 郷クリで展開している医療はこれまでの経験のうえに最新の標準的医療をブレンドした医療+サーチエンジンと人的ネットワークで診療能力を補完する医療になります。診療範囲はとくに制限しておらず、受診される患者さん、紹介された患者さん、救急搬送を要請された場合などすべてに対応しています。気をつけているのはコンビニやマツキヨにならないこと(薬や湿布など欲しい物がすぐに手に入る)。その一方で生活習慣病、心不全、呼吸不全、脳梗塞後、慢性的な内科疾患、整形領域の変形性疾患、認知症などを複数お持ちの後期高齢者の患者さんには、郷クリでできる範囲の医療サービスを一元的に提供しています。通院から訪問診療に移行する患者さんにも対応しています。3月からはみなし訪問看護を開始し、9月には訪問看護ステーションを開業すべく準備中です。

これからの医療・看護と包括ケア

 三条市下田地区における医療・看護と包括ケアを住民・患者・家族中心に展開していきたいと考えています。患者さんとご家族のこれまでの人生を意味づけ、これからの生活と医療・看護・ケアをデザインする、とりあえず始める、途中で何度でも修正する、その間にさまざまな対話を必要なだけ繰り返し関係者が納得し満足できる最終章を描く、そんなイメージです。これらのイメージはポジティブ心理学や達成の心理学などの心理学と教授システム学などのテクノロジーを使って実現していく予定です。

 下田地区の医療・看護と包括ケアのシステムをデザインし実現するチームも次第に形成されつつあります。チームとメンバーの育成の基盤として、好きな場所で好きな時間に好きな方法で継続した学びを支援する学習システムも構築予定です。

まとめ

 昔話しと大風呂敷にお付き合いいただき有難うございました。とはいえ、夢やゴールがなくては夢やゴールは達成できません。また毎日の生活を楽しむためには夢やゴールが欠かせません。大きなゴールを設定しマップ全体を眺めることで、ゴールに達する経路を描くことができます。これが現在の郷クリと僕の活動とハッピーな生活になります。

 このような機会を与えられ、三条市・下田地区という素晴らしい自然のなかで(美味しい野菜をいただきながら)思うように医療を展開できることをとても嬉しく思っています。

 これからもどうぞよろしくお願いいたします。

 

三条しただ郷クリニックを開業して見えてきた地域医療、看護と包括ケアモデル” に対して1件のコメントがあります。

  1. 皆川 より:

    現在、DSにて機能訓練指導員をしている(作業療法士)三条市在住のものです。池上先生のブログを拝見させて頂きました。
    これからの、日本中の至るところが過疎化がすすんで来る中で、生まれ育った地域で暮らし続けていくためには、医療、看護など包括的ケアをトータルで行われる地域を作って行かなければいけないと、自身も感じております。至らない文、文章で申し訳ありません。リハビリ職員募集がある際、施設見学をしてみたいと思いました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください